へ「平和の使徒 新島襄」
読み「へいわのつかい にいじまじょう」
新島襄は、「こ」で出てきた内村鑑三と同じく、実は、あまり群馬県と関連性は
ありません(バッサリ)。
新島は江戸の神田で生まれました。
「父が安中藩士」ということで上毛かるたにノミネート、という流れは内村鑑三に
似てますね。
で、アメリカ人宣教師の訳した聖書を読み感銘を受け、洗礼を受けアメリカに渡ります。
そして、教育に力を入れることを思い立ち、京都に同志社大学を作りました。
マイルド系な内村鑑三と言ったところでしょうか。
晩年は、心疾患で遊説先の前橋で倒れてからは、箱根で静養していたそうです。
ちなみに主たるキャリアに「群馬」が出てくるのはここだけです。
「その功績と群馬との関係のなさ」は、内村鑑三ばりです。
ただ、地元(?)の安中では基督教会組織の呼び掛けにより、新島の遺志を継いだ
教育施設が作られることとなりました。
これが、安中駅前にある「新島学園中学校・高校」です。
ちなみに、同志社大学への推薦枠もバッチリあるそうです。
というわけで、「新島襄」。
群馬県人なら名前は皆知っていますが、天国で新島本人は「なんで群馬だよ!?」と
思っていることでしょう。